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私にオススメしてください。

成人女子が趣味を模索するブログ。なんかおもしろそうなことあったら教えてください。

「ご飯食べて帰ります」と連絡しても夕飯が用意されている。

ちょっとお久しぶりです。船着場です。


突然ですが、実家暮らしの大学生の皆さんは、どの位の頻度で、お家でご飯を食べますか?

先日、40代半ばの男性に「ほぼ毎日、母の作ったご飯を家で食べている」という話をしたら、かなり驚かれてしまい、その驚きっぷりに私も驚いてしまいました。
20代の学生が、家でご飯を食べていることがそんなに珍しいのか…と。
確かに、私の周りの子たちも、「もう半月家でご飯食べていない」「今日ご飯ないからコンビニで買って自室で食べる」という子ばかりです。
今日の夕飯が楽しみだから早く帰りたい、という子はあまり見ません。
そういう話をすると「いいなあ」と言われます。
私は初め、その子たちの「当たり前」と自分の「当たり前」の差に愕然としました。

昔から、私の母のモットーは、「とりあえず食え」。どんなに私を叱った後でも、どんなに私の態度が悪くても、ご飯だけは絶対に出てきました。
「なぜ?」
と聞いたら、
「お腹が減っているといいことがないから」
と。
母曰く、「空腹の状態で物事はいい方向に進まない」という考えのようです。
最近は「出来る人は空腹を味方につける!」みたいなビジネス本も見かけますが、どちらが正しいとか、科学的根拠云々はあっちに置いておきます。

そんな母は、自分自身正社員として働きつつ、未だに晩御飯を毎晩作ってくれています(きょうだいがまだ小さいというのももちろんありますが)。馬鹿で親不孝者の私は、最近やっと、それがどんなに大変なことかわかってきました。
この「当たり前」が、母がどれほど身を削って支えている「当たり前」なのか。
他の子の話を聞いて、「お母さんやほかの家族はそれでいいと思ってるのか」なんて簡単に思ってしまった自分が恥ずかしくなりました。


前置きが長くなりましたが、本題はここからです。
いくら友だちがあまりいない私でも、友人とご飯を食べて帰る(あるいは朝帰り)ということが月に1回くらいはあります。
私はそういうときは必ず親に連絡を入れます。「ご飯食べてくるのか連絡してくれ」と、母親からも毎回言われています。
しかし。その連絡が、私の分の夕飯の有無に関わったことは今までほとんどありません。
「食べて帰る」と連絡しても必ず、居間のテーブルの上に私の分の夕飯がラップにくるまれて私の帰りを待っているのです。
「なぜ?」
と聞いたら、
「だって船着場食べるでしょ?」
と。
「高校のお弁当も、なに作ってもきれいに食べてくれるから作り甲斐があったし、今も作ったもの大体美味しいって食べてくれるから」

少し話は逸れますが、私は以前、母親に対して、「自分なんかが産まれてしまって、こんな風に育ってしまって、いまだにこうして手をかけさせてしまって、本当に申し訳ない」という気持ちに苛まれたことがあります。
そんな気持ちを救ってくれたのもこの言葉でした。美味しく食べることで、お母さんを喜ばせることができていたんだと気付いたのです。

ここまでこのブログを読んで、お前はなんて恵まれているんだ、とか、うらやましい、って思った方がいるかもしれません。
うちのお母さん、奥さん、全然ご飯作ってくれない、美味しくない、とか。
その不満の一番の解決方法は、まずお母さんのご飯をぺろっと食べて、「美味しい」って顔を見て言うことだと私は思います。それに気付いていない人がかなりいるんじゃないでしょうか。


昨日も深夜2時に2回目の夕飯を食べました。さすがにそろそろ夜中に食べるのは止めて、朝に食べるようにしよう…と思いつつ、結局ぺろっと食べてしまいました。
この行為自体は褒められたものではないですが、後で帰宅した母親に美味しかったと伝えたいと思います。

ハードカバー版を買うお金がない。

「読書記録」なるものをつけている方はこの世にどれだけいるのでしょう。
せっかく読んだ本を読んだきりにしておくのも勿体ないと思うので、本を読んだらなんとなくここに記していきたいと思います。
たまたまどなたかの目に留まって読書タイムの手助けになればこれ幸い。


先日、ようやっと『火花』を読みました。
文庫で出るのをぼんやり待っていたところ、二、三カ月前に文庫版を発見、購入していわゆる「積読」していたものを、最近きている「本読みがやたらとはかどる波」に乗って読破しました(読破といっても本編は200頁もありませんが)。
私が買った当時の帯によると、累計300万部突破とのことですから、今更レビューもくそもないですが、自分用の覚書というていで書きます。


まず、私は、全て丸っとハッピーエンド!のお話も好きだけれど、バッドエンド、鬱エンド、含みがあるエンド、が大好物。なぜなら、そのお話の「その後」を考える余地があるから…というのは表向きな理由で、実際は「現実そんなにうまくいくわけねーだろ!」という、フィクション作品の根底に素手で殴りかかるでくのぼうみたいなひねくれた思考の持ち主だから。
そこの観点からいくと、このお話は、主人公たちが芸人という、一般人からしたら現実離れした存在であるにもかかわらず、えげつなく、そして優しく「私たちの現実」が切り取られていて。そこがすごい。下手をすれば、テレビ番組でよく特集されている、貧乏芸人の生活や、過去の貧乏エピソードと同じ感覚で受け取られてしまうかもしれないのに、そうはなっていなくて、「売れない芸人って大変なんだな」という客観的感覚とは程遠い、もっと自分自身の現実を突きつけられたような気持ちになる。

自分の考えに素直に従って、それに疑いも持たずに生きていきたいという欲望はきっとだれにもあって、そうすることが正しいんだ!とする自己啓発本もたくさんある。
逆に、周りにも気を遣って、自分にも気を遣って、堅実に生きなければならないという誰かからかけられた縄もある。そういう生き方の方が結果幸せになれると説く自己啓発本もいっぱいある。
前者の象徴が神谷さんで、後者の象徴が徳永。
きっとこの対立に、「どっちがより正しい」という結論は永遠に出ない。もしかしたら、「自分により合っている」ものはあるかもしれないけれど、どっちみち「これで正しいのか」という葛藤からは逃れられない。この本を読んだ人は、自分の中での葛藤を、神谷さんと徳永くんを通してストーリーとして形にすることができる。それは、この本に限らず「本を読むこと」の意義で、その為の材料がきちんと揃っているからこそ、この本は賞を獲ったのだろうなあと思う。

もう一つ、この本を読んでいてほっとしたこと
徳永は神谷さんのことを心から尊敬していて、もちろんこれは嘘じゃないけれど、同時に蔑んでもいる。神谷さんから徳永に対してもそう。

「憧憬と嫉妬と僅かな侮蔑が入り混じった感情で恐れながら愛する」

私は人間が近しい他人に対する感情としてこれが普通だと思うし、それをはっきり文章にしてもらって安心した。
ツイッターの本アカで「大好き♡」と書いて、裏アカで「死ね」と書く。行為自体は最低だけど、根本的な感情自体は当たり前のものじゃないだろうか。分けて考えるから、「表」と「裏」に分けるから、変に隠すから、ややこしくなる。
どんなに仲の良い友人に対してだって、プラスの感情ばかり持っている訳じゃないはずなのに、それを自分に対しても他人に対しても否定する人の多いこと。みんなペルソナやったらいいよ。

長々と書きましたが。
芥川賞作品ですから純文学ですので、SFやファンタジーばっかり読む人や普段本を全く読まない人が話題だからって読んでみた場合、ちょっと読みづらかったんじゃないかなあ。
この「淡々」とした感じは「読めねえ…」って方もいるかもしれません。
でも本編は文庫でたった170頁ですし、舞台が渋谷吉祥寺近辺で風景を想像できる人も多いでしょうから、そんな人にも読みやすいものではあるはず。
たくさんの人の純文学への入り口になったかもしれない本が世に出た時代に生きていたというのは、かなり幸運なことなのかもしれないと思いつつ、締めたいと思います。
文庫版のみ収録のエッセイに関しては、またエッセイについてぐだぐだ書くときにでも。

ここまで読んでくださった数奇な方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございます。
新作『劇場』も、読んだ知人が絶賛していましたが、やっぱし貧乏なので文庫を待ちます。

ポッキーの袋をチョコ側から開ける、という絶望。

 

最近、ウィスキーを飲みます。

飲むようになっただけです。銘柄とか、どれがおいしいとか、正しい飲み方とか何も知りません。誰か教えてくれ。

お酒は好きですが、どのお酒に関してもそんな感じです。

 

そんな私が、ふとした拍子に見つけてしまった幸せが、「ウィスキー×チョコレート」の組み合わせでした。

あるとき、たまたま家にあったポッキーをつまみにして、適当に作ったハイボールを飲んだら、そのおいしさにちょっと涙が出ました。

「これは! 何袋でもポッキーが食べられる!」むしゃむしゃ

もともとチョコレートが大好物な上に、冷たい牛乳と一緒にバリバリ板チョコを頬張って、「牛乳が冷たいせいで口の中でも融けないチョコの食感」を楽しむのが大好きな私。この組み合わせはこれから先の部屋飲みライフに虹の橋を架けてくれたのです。

シェアなんてしません。

ちなみに前回虹の橋が架かったのは、地元のスーパーのプライベートブランドのいかせんべいを、家にあったやっすい甘ったるいワインでずんずん流し込んだときでした。

 

大発見をしたと思って、父親に凄い勢いで「ポッキーとウィスキーの組み合わせが素晴らしかった」と報告したら、苦笑いされました。

有名な組み合わせなのですね。

しかも、チョコ好き界隈では有名な方のツイッターで、アマゾン限定でウィスキー専用ポッキー「大人の琥珀」が売られていたことも知りました。

買うしかねえ!と思いつつ、値段に尻込みして結局手に入れていません。いつか三箱くらいまとめ買いできるくらいの財力を手に入れてやります。

 

余談ですが、袋に入ったポッキーを手を使わず唇でつまんで出して、渋い顔をして人差し指と親指でつまむ「煙草の似合う俳優ごっこ」をよく一人でやってしまいます。楽しい。

 

以上、今週のお題「お酒」…じゃなくて「おやつ」でした。

はじめまして。

 

はじめまして。船着場(ふなつきば)と申します。

うまれたときから「ケータイ」があった世代のくせして、うまれてはじめてブログというものをはじめます。今更。

というのも、私には「趣味」と呼べるものがありません。ぼんやりと「好きだなー」と思うことはあっても、「趣味です」「特技です」と胸を張って言えるものがありません。そしてかなりの飽き性で、目移りが激しい。

「学生時代ちょっとギターをかじったので、今もたまに弾いています」とか言ってみたい人生でした。

「にわかファン」への当たりが強い昨今、こんな私は例えそのとき本当に好きなものでも「好きです」と大声で言えません。

だから、このブログをはけ口にしたいと思います。

「このときの自分はこんなものが好きだった」という記録を、自分で文章にして残したいとも思います。

 

本来人様に公開するようなものでもないのかもしれませんが、お付き合い頂ける方がいらっしゃれば幸いです。