私にオススメしてください。

成人女子が趣味を模索するブログ。なんかおもしろそうなことあったら教えてください。

1000曲中再生するのは90曲。

 

最近ずっとTHE BACK HORNのベストアルバムばっか聴いている。

そんで合間に小野大輔茅原実里の『叱咤純愛1,chu,3!!』が無性に聴きたくなって手動で挟み込む。

 

私のiPodには1200曲くらい入っているけれど、全曲シャッフルなんてめったにしなくて、再生回数がめちゃくちゃ偏っている。

1200なんて少ない方だと思うけれど、それでもそんな感じ。

 

どこで見た言葉か忘れたけれど、

「音楽プレイヤーにどれだけ曲数が入っていても、聴きたい曲が一曲もないということがある。それは内容を知っていて、新鮮味がないからだ」

と言っている人がいた。

なるほど、という納得の感情以上に、「何曲入れても聴きたい曲がない」という状況が広く一般的に起こっている状況なのだと知ってほっとした。

 

大好きだった曲に対して、あまりにも聴き過ぎて、「飽き」の感情を持ってしまうことほど、虚しくなることってない。

私はすごく熱しやすくすごく飽きっぽいので、この虚無感にしょっちゅう曝されている。

 

「○○が好き」って、すごく大事なアイデンティティだなって、最近強く思う。

来年度入社の同期の子たちと顔合わせをして、自己紹介をして、自分を知ってもらうために趣味の話をする。

趣味がある人は、それに依って自分を紹介できるけれど、ない人はどこをとっかかりに自分を紹介したらいいのかわからない。

飽きっぽいわたしは、しょっちゅうそのアイデンティティを消失、あるいは焼失してしまっているので、こういう場が一番困る。

 

なにが言いたいかって、決まった趣味のない人間に、「暗い」「闇がある」というレッテルを貼るな。

寝ることが趣味です、を許してくれ。

 

小説『図書館の魔女』をめっちゃアニメで観たいという話。

どうも。
やらなくちゃならないことからひたすら目を背けてガンダム(ちょうど10周年のやつ)鑑賞に勤しんでおります、船着場です。
狙い撃たれたい。毛布掛けてもらいたい。
近況報告はこんなところです。


閑話休題

さて、私は小説や漫画を、「これはアニメで観たいな」「これは実写で観たいな」と考えながら読んでしまう質です。
役者さん知識はほとんどありませんで、キャストは知る範囲で一応考えてはみますが、「誰に演じてほしい」という思考以前に、読み進めていくうちに大体なんとなく「これはアニメ」「これは実写」と勝手にイメージが湧いています。

最近読んだもので言うと、
イブニングで連載中の『累』は断然実写で観たい。(コミックですが)
夜は短し歩けよ乙女』は、先日アニメになりましたが、私は読んだときは実写で観たいなと。『宵山万華鏡』も実写で観たい。
遠藤周作の『真昼の悪魔』は、昔実写ドラマやっていたそうですが、私の勝手な読後感は「この狂気はアニメで観たい」。
読んだのはだいぶ前ですが、今本棚を眺めて見つけた辻村深月の『オーダーメイド殺人クラブ』はどっちも観たいけど、どっちかっていうとアニメかなあという感じ。
完全に主観です。しかも曖昧な。


そして。
今現在読み進めている小説で、読めば読むほど「これ映像で観たい!アニメーションで観たい!」という気持ちが強くなっていくのが、講談社ノベルズから出ている『図書館の魔女』(高田大介著)です。

魔女はでてきません。魔法使いもでてきません。魔導書は出てきますが、偽物です。

こちらシリーズもので、現在文庫本では『図書館の魔女』第一巻~四巻、『図書館の魔女 烏の伝事』上下巻が刊行されています。
私自身まだ三巻の途中までしか読んでいないこと、また、軽い情報がネタバレにつながる作品であり、ネタバレは避けた方が楽しめる度がアップする作品であることを考慮して、私からのへたくそなあらすじ説明は避けます。第45回メフィスト賞受賞作であり、公式サイトがありますので、あらすじ等はこちらを御覧ください。
kodanshabunko.com
以降こちらを読んでいること前提で話を進めます。

(ネタバレは避けますが、ネタバレによって面白さがほぼ消し飛ぶような脆い作品ではないことは断言します)

なぜ私がこの作品を映像で、そしてアニメで観たいと思ったのか。ここからはそれをつらつら書いていきたいと思います。

登場人物たちの手話が映像で観たい

真っ先に思ったのはこれでした。
声を持たないマツリカやイラムは、作中で、声を持つものより雄弁に語ります。
文章で表現されているだけでも、さぞかし「表情豊かな手」なんだろうなと思わせるマツリカの手話に始まり、だんだんとそれに応じていくようになるキリヒトの手話、うるさいけれど優しさに溢れたイラムの手話、これらを是非映像で観たい。そして、作中では文字の羅列として読者に示される手話の内容を、その手の動きとともに音で聞いて同時に理解したい。もちろん字幕という手もありますが、私は映像化するなら声をつけてほしいなと個人的に思います。私は彼女らの手話からキリヒト達のように細かな感情までは読み取れないので、やっぱり音で聞きたいです。
マツリカ様は怒るかもしれませんが。

登場人物の設定がアニメ映えしそう

この物語には多種多様な人種の人物が登場します。その筆頭が司書の二人。
ハルカゼはアルビノで銀髪ロングの長身。
キリンは濃い褐色の肌の持ち主で黒髪に真っ黒な瞳。
対照的な二人ですが、ハルカゼは情報戦のプロ、キリンは軍事戦略のプロとして描かれています。

主人公コンビのキリヒトとマツリカは、お互い方向性は違いますが、年齢とその能力のギャップが周りの大人に奇妙な不安感を植え付ける、そんな少年少女。

物凄く運動神経が良いという設定のキリヒトの洗練された身のこなしがアニメで観たい。
下にも同じようなことを書きますが、私は脳内で立体的に人の体の動きを映像化するのが苦手なので、文章で書かれた彼の手足の動きがどうしてもきちんと想像できない。けれど、むちゃくちゃスマートでかっこいいのはわかります。一か所どうしても観たいキリヒト大活躍シーンがあるのですが、大きいネタバレを含んでいるので言えない…くぅ。
あのシーンアニメにしたらむちゃくちゃ動くんだろうな…とだけ。

そしてなんといってもマツリカ様。
図書館のトップに君臨し、膨大な量の知識を有し、そしてそれらを繋げ、組み立て、繙いていく能力に異様に長け、「図書館の魔女」と恐れられる人物。
しかし実は、背の低い、色白の、まだ幼い美少女で、態度は高慢で高飛車。すぐに人を馬鹿にしたように意地悪を言う。基本的に行儀が悪く、椅子に座って本を読みながら、床につかない足の靴下をその辺に脱ぎ捨てる。すぐに葡萄酒をちびちび舐める。
そしてその手は実に表情豊かに、誰より「言葉」に精通しながら、声を発することの叶わない彼女の言葉を紡ぐ。
こんなにアニメーションで観たい少女はいません。

基本的には素直で訥々と話し、知識もそんなにない為マツリカにやられっぱなしのキリヒトですが、身体能力を試される場面では二人の立場が逆転します。そういう話ではないのは百も承知で言いますが、萌えます。

キリヒトはマツリカの手話通訳になるため図書館にやってきたのですが、主従とも、相棒とも言えるような言えないような、この二人のこの先の関係性は如何に…
ちなみに三巻現在では切なさと危うさと心強さとって感じです。

山々の風景や城外の風景、建物同士の位置関係を絵で見たい

これに関しては完全に私の馬鹿さを露呈する話なのですが。
この小説、特に一巻は、私は読むのにかなり時間を要しました。
というのも、内容が基本「外交」のお話なので、地形、機構、街や建物の構造等々を文章で説明している部分がすごく多いんです。
これをきちんと脳内で整理出来たらもっとお話が面白いはずなので、何度も読んで考えるのですが、脳内で地図を組み立てられない人間にはしんどいものがあります。
これをビジュアル化してもらえたら…という他力本願な考えからもアニメ化希望です。


最後に。
「アニメ化してほしい」という視点でここまで『図書館の魔女』について語ってきましたが、このお話のなにより魅力的なところは、「練りに練られた世界」「練りに練られた展開」だと思います。作者によって構築された世界に隙がないのです。
一応ジャンルはファンタジーなのだと思いますが、世界の仕組みや物語の展開に関して、「いやここはこういう世界だから」という言い訳は一切ありません。
言語学、地理学、地質学、歴史学その他諸々の現実世界の学問の知識を著者はどれだけ持っているのか空恐ろしくなるレベルです。

少し悪い言い方をすると、この世界、ストーリーに関して、読者に想像して創造する余地はあまりありません。読者が尽力せねばならないのは、いかにここにつづられた文章が示すものを正確に解せるか、です。

読者の妄想に任せがちな登場人物の容姿も、この小説では克明に記されています。その余地があるのはそれこそ彼らの声くらい…といいたいところですが、声を持つ人物の声の特徴も、抽象的ではなく具体的に記されているのです。
それが吉と出るか凶と出るかは読み手次第。

しかし、凶と出てしまった人に、このお話自体の面白さが伝わらないのはもったいなさすぎます。話の壮大さ、伏線の緻密さ、個々のキャラクター(結構多い)の生き生きっぷりは、海外作家のファンタジー作品に引けをとりません。

そして、こういう原作の世界がきっちり決まっている作品は、アニメ化と相性が良いと思うのです。
現実のものや人間でこの世界をなぞると却って不自然になる気がします。リアルを突き詰めた虚構を現実世界で表現しようとすると違和感が生じる。矛盾ですね。
ともかく、いろんな人種が出てくる時点で、日本人だけで実写化はしてほしくないです。

どっちみち、映像作品になれば、凶と出てしまった人、そもそも読書が苦手な人にもこの作品の面白さが伝わるのではないか!と思うと、心の底からアニメ化を願ってしまいます。
賞をとった作品ですし、もしかしたらもうそういう話は出ているのかも知れません。


以上、長々とお付き合い頂きありがとうございました。
これから00劇場版を鑑賞します。


図書館の魔女 第一巻 (講談社文庫)

図書館の魔女 第一巻 (講談社文庫)


余談。昔ジャンプSQでやってた遠藤達哉の『TISTA』がすごい好きでめちゃくちゃアニメ化してほしいんですが叶わぬ夢ですかね…

TISTA 1 (ジャンプコミックス)

TISTA 1 (ジャンプコミックス)

進撃の巨人をアニメのみで追いかけている人はどれくらいいるのか。

最近数話分を観れていなかったアニメ進撃の巨人をまとめて観ました。
今期、作画的な意味で全体的にみんなイケメン度がアップしてるような気がするのは私だけでしょうか。


さて、私は進撃の巨人を単行本で追いかけている勢です。
本誌は購入していません(何度も誘惑に負けそうになったことはありますが)。

本誌派と単行本派の間に度々上がる火といえば、そう、ネタバレ。
この作品に限らず、単行本派にとって、本誌派のネタバレ魚雷はネットの海を泳ぐうえで最も避けたいことだと思います。

しかし、私が最近悩んでいるのは、アニメ派へのネタバレは責められるべきか否か!

単行本もしくは本誌を購入されている方ならお分かりになるかと思いますが、進撃はアニメでやっている部分と最新話とで状況も事情も読者の気持ちもだいぶ違う。
ネタバレのネタが尽きない作品です。

先日、カフェで本誌派の友人と、単行本最新巻までのお話について、喧々諤々の議論の交わしていたのですが、ヒートアップして私の声が大きくなりだしたところで友人に
「アニメ派の人が聞いたらネタバレになっちゃうから!」
と制されました。

私の声が大きいのは毎日反省しているところなのですが、ここで私の胸に沸いた疑問が、このエントリーのタイトルです。
進撃の巨人を純粋にアニメのみで追いかけている人なんて存在するのか…?」
「一期から二期まで数年の時間が空いているのに、その間何の情報も得ずにただアニメを待っていた人はいるのか…?」

正直、ネタバレを気にする程ストーリーを楽しみ、なおかつ上記の条件を満たす人ってあまりいないんじゃないかと思ったんです。
だって一期があの終わり方だよ??????
しかも二期はスタッフ陣が確実に「お前ら知ってるんだろ?」って視聴者の涙腺と心臓に喧嘩売ってるカットがてんこ盛りじゃないですか。考え過ぎ…?

そんなことを考えていたら、この前の電波兵団で梶君がこんな話をしていました。
「美容師さんにこの間の放送話、本当にびっくりしたって言われたんですよ」
細かいところは覚えていませんが確かこんなニュアンスでした。

いた…いたよ…アニメだけ追いかけてる人いた…

電波兵団のふたりのどうにかこうにかネタバレを避けようとするおしゃべりも、「そんな苦労しなくてももうみんな知ってると思うで」と思いながら聞いていた私。(そりゃあふたりが率先して未放送話の話をするわけにはいかないというのは私もわかっています)
私は自分の考えは自己中心的だったと反省しました…が、やっぱりちょっともやもやします。

原作があって、そこからアニメ化される作品って、原作がある程度進んでいる事の方が多いと思います(もちろん例外はありますが)。
もちろんわざわざ進んでネタバレする必要は全くありませんが、そういう作品のアニメ派への「ふとした」ネタバレって、どこまで気を遣えばいいんでしょうかね。



だらだらととりとめもなく書きましたが、これだけは言わせてください。

進撃の巨人のアニメは、原作読んで観た方が数万倍楽しめるよ!!!!!

涼しい。

この時期の暑かったり涼しかったりする天候、口ではぶーぶーいうけれど、なんだかんだ嫌いじゃないのです。
身体には結構ダメージあるのかもなあとも思いますが、やっぱり嫌いじゃないのです。

わかってくれる人とくれない人といますが、それぞれの天気、気温、季節に独特の匂いがあって、この時期は毎日違う匂いが感じられて飽きないのです。

私は夜の空気の匂いが大好きなのですが、今の時期だと、夜ふらっと外に出て、息を吸って、「あ、夏の匂いだ」と感じられるとめちゃくちゃにテンションが上がります。

この時期は、今から暑くなるのか寒くなるのかふとわからなくなるときがあるけれど、匂いと、道でアゲハチョウなんかとぶつかりそうになると、「あー、夏がくるんだなあ」って嬉しくなります。

決して夏が好きなわけではありません。
季節が変わるのが好きなんです。
だから、三カ月にいっぺんはそういう時期があります。

何でですかね。

季節が変わると自分の生活とか、性格とか、そんなとこまで変わるような、そんな期待があるからかもしれません。
自分で変える気力がないから、自然の摂理に頼っているのかも。
四季がない国に同じ性格で生まれていなくて本当に良かった。


ウォーキングデッド視聴に戻ります。さっきまではガンダム観てました。
窓全開なので、季節は感じてますよ、一応。

犬も歩けば沼に落ちる。

今週のお題「私の沼」

このブログを始めようというきっかけは、「趣味」と言えるほどのことはないけれど、飽きっぽい私が現在ぼんやりハマっていることへの愛を滔々とつづりたい、と思ったことです(一番初めの記事参照)。
そんな私が今現在落ちている沼…それは声優の沼です。マジ深い。息できない。
声優沼と言っても、ごくごく一部の、しかも有名どころに限られています。「声優全体にめちゃくちゃ詳しいぜ!」という自負のある方にはそんなの沼じゃないと言われそうなので、下手に周りにも言えず、ここに書くしかないわけです。


高校卒業頃まで、ほとんどアニメを観てきませんでした。ポケモンとかドラえもんをちらちら観ていたくらい。
しかも声優さんなんて気にしたことがなかった。
そんな私が変わってしまったのが、物語シリーズとの出会いでした。
きっかけはよく覚えていないのですが、熱しやすく冷めやすい私は、「これおもしろいかも」と思った瞬間、地元のレンタルビデオ店でその当時アニメ化されていたところまでを3枚ずつくらいレンタルし、一カ月もしないで全て観てしまいました。
私は勝手に「読むアニメ」と称しているのですが、あの言葉をこねくり回す感じ。そして、ギャグとシリアスの絶妙なバランスがたまらないのです。現実離れしたお話で、登場人物に共感できることの方が少ないのに、誰もが持っている厨二心と青春への焦げ付いた憧れを容赦なくえぐってくる、そんな作品で、見事に私はハマってしまいました。

さて、このアニメシリーズには、シリーズごとに「あとがたり」というキャストトークが存在します。それを聞いたときが、沼の入り口でした。

「この阿良々木くんの声優さん、話めちゃくちゃ上手だ…」

そう思ったら落ちるスピードの速いこと速いこと。
あっという間にこの方のレギュラーのラジオにハマり、ラジオの相方にもハマり、同じ事務所の先輩にハマり…声優沼の怖いところは、良くも悪くも声優さん同士、作品同士の「身内ネタ」で盛り上がることが多いので、そのネタについていこうと必死になるうちにいろんな沼に足やら手やらを突っ込んでいることです。さながらツイスターゲームのように。
しかも、供給されるものもめちゃくちゃ充実しています。
出演されているアニメはもちろん、ラジオ、それらのトークイベント、公開収録、舞台、朗読劇、声優さん同士が仲良く旅行に行ったり食べ歩きをしたりという企画のDVD、また音楽活動をされている方であれば、新曲が出る(嬉しい!MV付きだとなお嬉しい!)→リリイベで会える(嬉しい!!!)→ライブ開催(発狂!!!!!)→ライブ映像円盤化(オーディオコメンタリーと特典映像最高…神よ…)という狂喜の連鎖を定期的に味わえます。

それともう一つ。声優さん方は不老の薬を調合できる方が非常に多いようで、男性女性共に年齢不詳率が異様に高い。
少年みたいな言動、イケボ、たまにめっちゃセクシー、みたいな脳みそを遠慮なく混乱させてくるおじさんが多すぎます。
おじさん好きの女子は一度のぞいてみてほしい沼です。

私はジャニヲタも通過しているのですが、声優さんはテレビ出演はなくとも、生で観られる機会が圧倒的に多く、ジャニーズのイベントより距離が圧倒的に近いです。リリイベなんてものの存在を私は知りませんでした…。
もちろん人気の方のイベントのチケットはある程度は取りづらいですが、それでもファンクラブに入っていても全くライブに行けなかったあのときより圧倒的に欲求が満たされています(笑)

なかなか偏見の目で見られることも多い気のする「声ヲタ」ですが、なんとなくでもアニメを観ている方はぜひ、そのアニメのラジオ番組を探して聞いてみてほしい。
「声優さん」へのイメージが変わるはずです。


今回はこんなところで、以上、某番組の作家・社長・ディレクターまで推し始めているDearなBBAがお送りしました。

「ご飯食べて帰ります」と連絡しても夕飯が用意されている。

ちょっとお久しぶりです。船着場です。


突然ですが、実家暮らしの大学生の皆さんは、どの位の頻度で、お家でご飯を食べますか?

先日、40代半ばの男性に「ほぼ毎日、母の作ったご飯を家で食べている」という話をしたら、かなり驚かれてしまい、その驚きっぷりに私も驚いてしまいました。
20代の学生が、家でご飯を食べていることがそんなに珍しいのか…と。
確かに、私の周りの子たちも、「もう半月家でご飯食べていない」「今日ご飯ないからコンビニで買って自室で食べる」という子ばかりです。
今日の夕飯が楽しみだから早く帰りたい、という子はあまり見ません。
そういう話をすると「いいなあ」と言われます。
私は初め、その子たちの「当たり前」と自分の「当たり前」の差に愕然としました。

昔から、私の母のモットーは、「とりあえず食え」。どんなに私を叱った後でも、どんなに私の態度が悪くても、ご飯だけは絶対に出てきました。
「なぜ?」
と聞いたら、
「お腹が減っているといいことがないから」
と。
母曰く、「空腹の状態で物事はいい方向に進まない」という考えのようです。
最近は「出来る人は空腹を味方につける!」みたいなビジネス本も見かけますが、どちらが正しいとか、科学的根拠云々はあっちに置いておきます。

そんな母は、自分自身正社員として働きつつ、未だに晩御飯を毎晩作ってくれています(きょうだいがまだ小さいというのももちろんありますが)。馬鹿で親不孝者の私は、最近やっと、それがどんなに大変なことかわかってきました。
この「当たり前」が、母がどれほど身を削って支えている「当たり前」なのか。
他の子の話を聞いて、「お母さんやほかの家族はそれでいいと思ってるのか」なんて簡単に思ってしまった自分が恥ずかしくなりました。


前置きが長くなりましたが、本題はここからです。
いくら友だちがあまりいない私でも、友人とご飯を食べて帰る(あるいは朝帰り)ということが月に1回くらいはあります。
私はそういうときは必ず親に連絡を入れます。「ご飯食べてくるのか連絡してくれ」と、母親からも毎回言われています。
しかし。その連絡が、私の分の夕飯の有無に関わったことは今までほとんどありません。
「食べて帰る」と連絡しても必ず、居間のテーブルの上に私の分の夕飯がラップにくるまれて私の帰りを待っているのです。
「なぜ?」
と聞いたら、
「だって船着場食べるでしょ?」
と。
「高校のお弁当も、なに作ってもきれいに食べてくれるから作り甲斐があったし、今も作ったもの大体美味しいって食べてくれるから」

少し話は逸れますが、私は以前、母親に対して、「自分なんかが産まれてしまって、こんな風に育ってしまって、いまだにこうして手をかけさせてしまって、本当に申し訳ない」という気持ちに苛まれたことがあります。
そんな気持ちを救ってくれたのもこの言葉でした。美味しく食べることで、お母さんを喜ばせることができていたんだと気付いたのです。

ここまでこのブログを読んで、お前はなんて恵まれているんだ、とか、うらやましい、って思った方がいるかもしれません。
うちのお母さん、奥さん、全然ご飯作ってくれない、美味しくない、とか。
その不満の一番の解決方法は、まずお母さんのご飯をぺろっと食べて、「美味しい」って顔を見て言うことだと私は思います。それに気付いていない人がかなりいるんじゃないでしょうか。


昨日も深夜2時に2回目の夕飯を食べました。さすがにそろそろ夜中に食べるのは止めて、朝に食べるようにしよう…と思いつつ、結局ぺろっと食べてしまいました。
この行為自体は褒められたものではないですが、後で帰宅した母親に美味しかったと伝えたいと思います。

ハードカバー版を買うお金がない。

「読書記録」なるものをつけている方はこの世にどれだけいるのでしょう。
せっかく読んだ本を読んだきりにしておくのも勿体ないと思うので、本を読んだらなんとなくここに記していきたいと思います。
たまたまどなたかの目に留まって読書タイムの手助けになればこれ幸い。


先日、ようやっと『火花』を読みました。
文庫で出るのをぼんやり待っていたところ、二、三カ月前に文庫版を発見、購入していわゆる「積読」していたものを、最近きている「本読みがやたらとはかどる波」に乗って読破しました(読破といっても本編は200頁もありませんが)。
私が買った当時の帯によると、累計300万部突破とのことですから、今更レビューもくそもないですが、自分用の覚書というていで書きます。


まず、私は、全て丸っとハッピーエンド!のお話も好きだけれど、バッドエンド、鬱エンド、含みがあるエンド、が大好物。なぜなら、そのお話の「その後」を考える余地があるから…というのは表向きな理由で、実際は「現実そんなにうまくいくわけねーだろ!」という、フィクション作品の根底に素手で殴りかかるでくのぼうみたいなひねくれた思考の持ち主だから。
そこの観点からいくと、このお話は、主人公たちが芸人という、一般人からしたら現実離れした存在であるにもかかわらず、えげつなく、そして優しく「私たちの現実」が切り取られていて。そこがすごい。下手をすれば、テレビ番組でよく特集されている、貧乏芸人の生活や、過去の貧乏エピソードと同じ感覚で受け取られてしまうかもしれないのに、そうはなっていなくて、「売れない芸人って大変なんだな」という客観的感覚とは程遠い、もっと自分自身の現実を突きつけられたような気持ちになる。

自分の考えに素直に従って、それに疑いも持たずに生きていきたいという欲望はきっとだれにもあって、そうすることが正しいんだ!とする自己啓発本もたくさんある。
逆に、周りにも気を遣って、自分にも気を遣って、堅実に生きなければならないという誰かからかけられた縄もある。そういう生き方の方が結果幸せになれると説く自己啓発本もいっぱいある。
前者の象徴が神谷さんで、後者の象徴が徳永。
きっとこの対立に、「どっちがより正しい」という結論は永遠に出ない。もしかしたら、「自分により合っている」ものはあるかもしれないけれど、どっちみち「これで正しいのか」という葛藤からは逃れられない。この本を読んだ人は、自分の中での葛藤を、神谷さんと徳永くんを通してストーリーとして形にすることができる。それは、この本に限らず「本を読むこと」の意義で、その為の材料がきちんと揃っているからこそ、この本は賞を獲ったのだろうなあと思う。

もう一つ、この本を読んでいてほっとしたこと
徳永は神谷さんのことを心から尊敬していて、もちろんこれは嘘じゃないけれど、同時に蔑んでもいる。神谷さんから徳永に対してもそう。

「憧憬と嫉妬と僅かな侮蔑が入り混じった感情で恐れながら愛する」

私は人間が近しい他人に対する感情としてこれが普通だと思うし、それをはっきり文章にしてもらって安心した。
ツイッターの本アカで「大好き♡」と書いて、裏アカで「死ね」と書く。行為自体は最低だけど、根本的な感情自体は当たり前のものじゃないだろうか。分けて考えるから、「表」と「裏」に分けるから、変に隠すから、ややこしくなる。
どんなに仲の良い友人に対してだって、プラスの感情ばかり持っている訳じゃないはずなのに、それを自分に対しても他人に対しても否定する人の多いこと。みんなペルソナやったらいいよ。

長々と書きましたが。
芥川賞作品ですから純文学ですので、SFやファンタジーばっかり読む人や普段本を全く読まない人が話題だからって読んでみた場合、ちょっと読みづらかったんじゃないかなあ。
この「淡々」とした感じは「読めねえ…」って方もいるかもしれません。
でも本編は文庫でたった170頁ですし、舞台が渋谷吉祥寺近辺で風景を想像できる人も多いでしょうから、そんな人にも読みやすいものではあるはず。
たくさんの人の純文学への入り口になったかもしれない本が世に出た時代に生きていたというのは、かなり幸運なことなのかもしれないと思いつつ、締めたいと思います。
文庫版のみ収録のエッセイに関しては、またエッセイについてぐだぐだ書くときにでも。

ここまで読んでくださった数奇な方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございます。
新作『劇場』も、読んだ知人が絶賛していましたが、やっぱし貧乏なので文庫を待ちます。