呼吸している、えらい(気分変調症日記)

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なんでかよくわからないこと。

めちゃくちゃお久しぶりです。暑くなる前に始めたような気がするこのブログも、ほとんど更新しないまま今年が終わります。


先日、卒業論文を無事提出し、大学を4年で卒業することがほぼ確定しました。
大した内容書いてないし、大した時間もかけていないけれど、まあこれがないと卒業できないらしいし、卒業してからも「大学で何やってたの?」って聞かれたときに困るって脅されて、そういう脅しに屈してしか来なかった私なので、とりあえず書きました。

卒論を書き終わり、単位もほぼ取り終わっていることによって、小学校入学以来続いてきた私の16年間の学生生活はひとまず終わったと言っていい状態にあります。

この16年間は、ひたすら「やらなくちゃいけない」という考えに追われ、責められ続けた16年でした。
宿題、テスト、受験。
もちろん嫌なことばかりじゃなかったし、今自分のため、将来の自分のため、になっていることもたくさんあるはずなのだけれど、無駄にそして中途半端に「真面目」な私にとって、精神的に何度もしんどくなった16年間でした。

つい一週間前にそれらから一時的ではあるけれど完全に解放されて。
一番最初にやりたくなったのは、今まで全くやりたくなくて、後回しにし続けてきた荒れ狂った部屋の掃除でした。(なんでかよくわからないけれど、NUMBER GIRL聴きながらだと掃除めちゃくちゃはかどる)
そしてずっとほしかったのに注文すら面倒で買っていなかった座椅子を購入し、支度して家を出てブックオフにゲームを買いに行く私。近年まれにみる行動力がどっかから湧いてきてました。
そこから今日まで、寝つきが良くなり、完全にではないけれど昼夜ひっくり返り気味だった生活があっという間に元に戻り、毎日TOEICの勉強して、早起きして映画を観に行って、学校終わりに映画を観に行って、読みたかった本を読んで…と、すごくまともな生活を送っています。
もうほんと、なにもやりたくなくて、15時間ぶっ通しで寝てたあの頃が嘘みたい。

「やらなくちゃいけない」という思いは人一倍強いくせに、そう思えば思うほどやる気が起きなくて、その時間マンガ読んじゃうとかならまだいいのに、何もせずスマホを眺めて時間が過ぎる。「やらない」という選択肢はないから、期限ぎりぎりで苦しんで、そんな自分に吐き気を催す程嫌悪感を覚える。
周りからしたら相当矛盾した行動と心理状況に見えるんだろうと思いますが、そんな葛藤?に苦しんだ16年。
書いてても馬鹿でグズだなって思います。

それから解放されたら、自然と「やりたい」ことと「やろう」という気持ちがむくむく出てきました。
なんでなんだろう。皮肉にもほどがあります。

「やらなくちゃいけない」と思うとそれだけじゃなくて他のこともやりたくなくなって、その縛りから解放されるとなんでもやりたくなる。
今ほんとに、ちゃんと生きてるな、って感じです。まだ一週間ですが。
やっとブレードランナー2049観に行けました。ジョイちゃん一家に一台欲しい。

就職は決まっているので、4月からまた何かに追われる生活が始まるのだろうと思いますが。でもこの次何かに追われるときは、一応社会の一員としてのお仕事に追われているはず。グズな大学生として単位のための課題に追われているよりは精神的にはマシなのではと考えています。社会人の皆さんに甘いと言われそうで大きな声では言えないけれど、割と早く学生を終えたいなと思っています。周りにはあんまり理解されません。

なんでかわからないけれど、とりあえず、私に学生は向いていなかったんだろうな。
向いてなかったことを16年間つづけた私、お疲れさまでした。


なんでかわからないことがもう一つ。
半年前に書いた『図書館の魔女』のとりとめもない感想のようなものに、最近コメントをいただきまして。
驚いて久しぶりに管理画面を開いたら、なんだかここ1、2か月毎日平均して10件ほどのアクセスがこのブログにあり、ほとんどの方が図書館の魔女の記事からのようで、さらに驚きました。
なんでそんなことになっているのかわかりません。ほとんど更新もしていないのに。

すみません、本題はそこじゃなくて、はてなの機能をよく理解していないので、コメントをくださった方に何かリアクションをとろうと思ってもかなわず。
この場で「コメントありがとうございます」を言わせてください。
図書館の魔女、実はまだ最後まで読めてないんです。
読みます、4月までに。


お風呂に入ろう。

小説『図書館の魔女』をめっちゃアニメで観たいという話。

どうも。
やらなくちゃならないことからひたすら目を背けてガンダム(ちょうど10周年のやつ)鑑賞に勤しんでおります、船着場です。
狙い撃たれたい。毛布掛けてもらいたい。
近況報告はこんなところです。


閑話休題

さて、私は小説や漫画を、「これはアニメで観たいな」「これは実写で観たいな」と考えながら読んでしまう質です。
役者さん知識はほとんどありませんで、キャストは知る範囲で一応考えてはみますが、「誰に演じてほしい」という思考以前に、読み進めていくうちに大体なんとなく「これはアニメ」「これは実写」と勝手にイメージが湧いています。

最近読んだもので言うと、
イブニングで連載中の『累』は断然実写で観たい。(コミックですが)
夜は短し歩けよ乙女』は、先日アニメになりましたが、私は読んだときは実写で観たいなと。『宵山万華鏡』も実写で観たい。
遠藤周作の『真昼の悪魔』は、昔実写ドラマやっていたそうですが、私の勝手な読後感は「この狂気はアニメで観たい」。
読んだのはだいぶ前ですが、今本棚を眺めて見つけた辻村深月の『オーダーメイド殺人クラブ』はどっちも観たいけど、どっちかっていうとアニメかなあという感じ。
完全に主観です。しかも曖昧な。


そして。
今現在読み進めている小説で、読めば読むほど「これ映像で観たい!アニメーションで観たい!」という気持ちが強くなっていくのが、講談社ノベルズから出ている『図書館の魔女』(高田大介著)です。

魔女はでてきません。魔法使いもでてきません。魔導書は出てきますが、偽物です。

こちらシリーズもので、現在文庫本では『図書館の魔女』第一巻~四巻、『図書館の魔女 烏の伝事』上下巻が刊行されています。
私自身まだ三巻の途中までしか読んでいないこと、また、軽い情報がネタバレにつながる作品であり、ネタバレは避けた方が楽しめる度がアップする作品であることを考慮して、私からのへたくそなあらすじ説明は避けます。第45回メフィスト賞受賞作であり、公式サイトがありますので、あらすじ等はこちらを御覧ください。
kodanshabunko.com
以降こちらを読んでいること前提で話を進めます。

(ネタバレは避けますが、ネタバレによって面白さがほぼ消し飛ぶような脆い作品ではないことは断言します)

なぜ私がこの作品を映像で、そしてアニメで観たいと思ったのか。ここからはそれをつらつら書いていきたいと思います。

登場人物たちの手話が映像で観たい

真っ先に思ったのはこれでした。
声を持たないマツリカやイラムは、作中で、声を持つものより雄弁に語ります。
文章で表現されているだけでも、さぞかし「表情豊かな手」なんだろうなと思わせるマツリカの手話に始まり、だんだんとそれに応じていくようになるキリヒトの手話、うるさいけれど優しさに溢れたイラムの手話、これらを是非映像で観たい。そして、作中では文字の羅列として読者に示される手話の内容を、その手の動きとともに音で聞いて同時に理解したい。もちろん字幕という手もありますが、私は映像化するなら声をつけてほしいなと個人的に思います。私は彼女らの手話からキリヒト達のように細かな感情までは読み取れないので、やっぱり音で聞きたいです。
マツリカ様は怒るかもしれませんが。

登場人物の設定がアニメ映えしそう

この物語には多種多様な人種の人物が登場します。その筆頭が司書の二人。
ハルカゼはアルビノで銀髪ロングの長身。
キリンは濃い褐色の肌の持ち主で黒髪に真っ黒な瞳。
対照的な二人ですが、ハルカゼは情報戦のプロ、キリンは軍事戦略のプロとして描かれています。

主人公コンビのキリヒトとマツリカは、お互い方向性は違いますが、年齢とその能力のギャップが周りの大人に奇妙な不安感を植え付ける、そんな少年少女。

物凄く運動神経が良いという設定のキリヒトの洗練された身のこなしがアニメで観たい。
下にも同じようなことを書きますが、私は脳内で立体的に人の体の動きを映像化するのが苦手なので、文章で書かれた彼の手足の動きがどうしてもきちんと想像できない。けれど、むちゃくちゃスマートでかっこいいのはわかります。一か所どうしても観たいキリヒト大活躍シーンがあるのですが、大きいネタバレを含んでいるので言えない…くぅ。
あのシーンアニメにしたらむちゃくちゃ動くんだろうな…とだけ。

そしてなんといってもマツリカ様。
図書館のトップに君臨し、膨大な量の知識を有し、そしてそれらを繋げ、組み立て、繙いていく能力に異様に長け、「図書館の魔女」と恐れられる人物。
しかし実は、背の低い、色白の、まだ幼い美少女で、態度は高慢で高飛車。すぐに人を馬鹿にしたように意地悪を言う。基本的に行儀が悪く、椅子に座って本を読みながら、床につかない足の靴下をその辺に脱ぎ捨てる。すぐに葡萄酒をちびちび舐める。
そしてその手は実に表情豊かに、誰より「言葉」に精通しながら、声を発することの叶わない彼女の言葉を紡ぐ。
こんなにアニメーションで観たい少女はいません。

基本的には素直で訥々と話し、知識もそんなにない為マツリカにやられっぱなしのキリヒトですが、身体能力を試される場面では二人の立場が逆転します。そういう話ではないのは百も承知で言いますが、萌えます。

キリヒトはマツリカの手話通訳になるため図書館にやってきたのですが、主従とも、相棒とも言えるような言えないような、この二人のこの先の関係性は如何に…
ちなみに三巻現在では切なさと危うさと心強さとって感じです。

山々の風景や城外の風景、建物同士の位置関係を絵で見たい

これに関しては完全に私の馬鹿さを露呈する話なのですが。
この小説、特に一巻は、私は読むのにかなり時間を要しました。
というのも、内容が基本「外交」のお話なので、地形、機構、街や建物の構造等々を文章で説明している部分がすごく多いんです。
これをきちんと脳内で整理出来たらもっとお話が面白いはずなので、何度も読んで考えるのですが、脳内で地図を組み立てられない人間にはしんどいものがあります。
これをビジュアル化してもらえたら…という他力本願な考えからもアニメ化希望です。


最後に。
「アニメ化してほしい」という視点でここまで『図書館の魔女』について語ってきましたが、このお話のなにより魅力的なところは、「練りに練られた世界」「練りに練られた展開」だと思います。作者によって構築された世界に隙がないのです。
一応ジャンルはファンタジーなのだと思いますが、世界の仕組みや物語の展開に関して、「いやここはこういう世界だから」という言い訳は一切ありません。
言語学、地理学、地質学、歴史学その他諸々の現実世界の学問の知識を著者はどれだけ持っているのか空恐ろしくなるレベルです。

少し悪い言い方をすると、この世界、ストーリーに関して、読者に想像して創造する余地はあまりありません。読者が尽力せねばならないのは、いかにここにつづられた文章が示すものを正確に解せるか、です。

読者の妄想に任せがちな登場人物の容姿も、この小説では克明に記されています。その余地があるのはそれこそ彼らの声くらい…といいたいところですが、声を持つ人物の声の特徴も、抽象的ではなく具体的に記されているのです。
それが吉と出るか凶と出るかは読み手次第。

しかし、凶と出てしまった人に、このお話自体の面白さが伝わらないのはもったいなさすぎます。話の壮大さ、伏線の緻密さ、個々のキャラクター(結構多い)の生き生きっぷりは、海外作家のファンタジー作品に引けをとりません。

そして、こういう原作の世界がきっちり決まっている作品は、アニメ化と相性が良いと思うのです。
現実のものや人間でこの世界をなぞると却って不自然になる気がします。リアルを突き詰めた虚構を現実世界で表現しようとすると違和感が生じる。矛盾ですね。
ともかく、いろんな人種が出てくる時点で、日本人だけで実写化はしてほしくないです。

どっちみち、映像作品になれば、凶と出てしまった人、そもそも読書が苦手な人にもこの作品の面白さが伝わるのではないか!と思うと、心の底からアニメ化を願ってしまいます。
賞をとった作品ですし、もしかしたらもうそういう話は出ているのかも知れません。


以上、長々とお付き合い頂きありがとうございました。
これから00劇場版を鑑賞します。


図書館の魔女 第一巻 (講談社文庫)

図書館の魔女 第一巻 (講談社文庫)


余談。昔ジャンプSQでやってた遠藤達哉の『TISTA』がすごい好きでめちゃくちゃアニメ化してほしいんですが叶わぬ夢ですかね…

TISTA 1 (ジャンプコミックス)

TISTA 1 (ジャンプコミックス)

涼しい。

この時期の暑かったり涼しかったりする天候、口ではぶーぶーいうけれど、なんだかんだ嫌いじゃないのです。
身体には結構ダメージあるのかもなあとも思いますが、やっぱり嫌いじゃないのです。

わかってくれる人とくれない人といますが、それぞれの天気、気温、季節に独特の匂いがあって、この時期は毎日違う匂いが感じられて飽きないのです。

私は夜の空気の匂いが大好きなのですが、今の時期だと、夜ふらっと外に出て、息を吸って、「あ、夏の匂いだ」と感じられるとめちゃくちゃにテンションが上がります。

この時期は、今から暑くなるのか寒くなるのかふとわからなくなるときがあるけれど、匂いと、道でアゲハチョウなんかとぶつかりそうになると、「あー、夏がくるんだなあ」って嬉しくなります。

決して夏が好きなわけではありません。
季節が変わるのが好きなんです。
だから、三カ月にいっぺんはそういう時期があります。

何でですかね。

季節が変わると自分の生活とか、性格とか、そんなとこまで変わるような、そんな期待があるからかもしれません。
自分で変える気力がないから、自然の摂理に頼っているのかも。
四季がない国に同じ性格で生まれていなくて本当に良かった。


ウォーキングデッド視聴に戻ります。さっきまではガンダム観てました。
窓全開なので、季節は感じてますよ、一応。

ハードカバー版を買うお金がない。

「読書記録」なるものをつけている方はこの世にどれだけいるのでしょう。
せっかく読んだ本を読んだきりにしておくのも勿体ないと思うので、本を読んだらなんとなくここに記していきたいと思います。
たまたまどなたかの目に留まって読書タイムの手助けになればこれ幸い。


先日、ようやっと『火花』を読みました。
文庫で出るのをぼんやり待っていたところ、二、三カ月前に文庫版を発見、購入していわゆる「積読」していたものを、最近きている「本読みがやたらとはかどる波」に乗って読破しました(読破といっても本編は200頁もありませんが)。
私が買った当時の帯によると、累計300万部突破とのことですから、今更レビューもくそもないですが、自分用の覚書というていで書きます。


まず、私は、全て丸っとハッピーエンド!のお話も好きだけれど、バッドエンド、鬱エンド、含みがあるエンド、が大好物。なぜなら、そのお話の「その後」を考える余地があるから…というのは表向きな理由で、実際は「現実そんなにうまくいくわけねーだろ!」という、フィクション作品の根底に素手で殴りかかるでくのぼうみたいなひねくれた思考の持ち主だから。
そこの観点からいくと、このお話は、主人公たちが芸人という、一般人からしたら現実離れした存在であるにもかかわらず、えげつなく、そして優しく「私たちの現実」が切り取られていて。そこがすごい。下手をすれば、テレビ番組でよく特集されている、貧乏芸人の生活や、過去の貧乏エピソードと同じ感覚で受け取られてしまうかもしれないのに、そうはなっていなくて、「売れない芸人って大変なんだな」という客観的感覚とは程遠い、もっと自分自身の現実を突きつけられたような気持ちになる。

自分の考えに素直に従って、それに疑いも持たずに生きていきたいという欲望はきっとだれにもあって、そうすることが正しいんだ!とする自己啓発本もたくさんある。
逆に、周りにも気を遣って、自分にも気を遣って、堅実に生きなければならないという誰かからかけられた縄もある。そういう生き方の方が結果幸せになれると説く自己啓発本もいっぱいある。
前者の象徴が神谷さんで、後者の象徴が徳永。
きっとこの対立に、「どっちがより正しい」という結論は永遠に出ない。もしかしたら、「自分により合っている」ものはあるかもしれないけれど、どっちみち「これで正しいのか」という葛藤からは逃れられない。この本を読んだ人は、自分の中での葛藤を、神谷さんと徳永くんを通してストーリーとして形にすることができる。それは、この本に限らず「本を読むこと」の意義で、その為の材料がきちんと揃っているからこそ、この本は賞を獲ったのだろうなあと思う。

もう一つ、この本を読んでいてほっとしたこと
徳永は神谷さんのことを心から尊敬していて、もちろんこれは嘘じゃないけれど、同時に蔑んでもいる。神谷さんから徳永に対してもそう。

「憧憬と嫉妬と僅かな侮蔑が入り混じった感情で恐れながら愛する」

私は人間が近しい他人に対する感情としてこれが普通だと思うし、それをはっきり文章にしてもらって安心した。
ツイッターの本アカで「大好き♡」と書いて、裏アカで「死ね」と書く。行為自体は最低だけど、根本的な感情自体は当たり前のものじゃないだろうか。分けて考えるから、「表」と「裏」に分けるから、変に隠すから、ややこしくなる。
どんなに仲の良い友人に対してだって、プラスの感情ばかり持っている訳じゃないはずなのに、それを自分に対しても他人に対しても否定する人の多いこと。みんなペルソナやったらいいよ。

長々と書きましたが。
芥川賞作品ですから純文学ですので、SFやファンタジーばっかり読む人や普段本を全く読まない人が話題だからって読んでみた場合、ちょっと読みづらかったんじゃないかなあ。
この「淡々」とした感じは「読めねえ…」って方もいるかもしれません。
でも本編は文庫でたった170頁ですし、舞台が渋谷吉祥寺近辺で風景を想像できる人も多いでしょうから、そんな人にも読みやすいものではあるはず。
たくさんの人の純文学への入り口になったかもしれない本が世に出た時代に生きていたというのは、かなり幸運なことなのかもしれないと思いつつ、締めたいと思います。
文庫版のみ収録のエッセイに関しては、またエッセイについてぐだぐだ書くときにでも。

ここまで読んでくださった数奇な方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございます。
新作『劇場』も、読んだ知人が絶賛していましたが、やっぱし貧乏なので文庫を待ちます。

はじめまして。

 

はじめまして。船着場(ふなつきば)と申します。

うまれたときから「ケータイ」があった世代のくせして、うまれてはじめてブログというものをはじめます。今更。

というのも、私には「趣味」と呼べるものがありません。ぼんやりと「好きだなー」と思うことはあっても、「趣味です」「特技です」と胸を張って言えるものがありません。そしてかなりの飽き性で、目移りが激しい。

「学生時代ちょっとギターをかじったので、今もたまに弾いています」とか言ってみたい人生でした。

「にわかファン」への当たりが強い昨今、こんな私は例えそのとき本当に好きなものでも「好きです」と大声で言えません。

だから、このブログをはけ口にしたいと思います。

「このときの自分はこんなものが好きだった」という記録を、自分で文章にして残したいとも思います。

 

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