呼吸している、えらい(気分変調症日記)

<

水族館で回遊するマグロになりたい。

おひさしぶりです。ふなつきばです。社会人、しんどいけど、どうやって息をするのが正解なのか誰も教えてくれません。
今日は日記っぽいこと書きます。
以下本編。


 二か月くらい前のことだと思う。某駅から自宅まで、20キロ強を徒歩で帰った。Google先生に質問して、ちゃんとしたルートを辿ると20キロなので、実際はもっと長い距離を歩いたと思う。そのはずだけれど、そのとき愛用していたiPhone5Cにはヘルスケアが入っていなかった。だから距離も総歩数も分からない。彼女はこの間、通勤途中に落とされて壊された。

 高校生のときから、自転車で近所の川を辿って東京湾に出たいとか、祖父母の家の最寄り駅(無人)から祖父母の家まで山道を歩いて行きたいとか、国道6号線をひたすら北上したいとか、そんなことばっかり考えている。移動が好きだ。ぼーっとすることと、何かの目的に向かって進むことが両立できるから。ふやふやの私の人生の中で、唯一はっきりとした目的に向かえる行為が移動なのだ。まあそんな願望の中に、某駅から家まで歩いて帰りたい、というのもあった。それがふとした拍子に実現した。

 その日は、もともとは友人と某駅の近くの図書館で勉強をする予定だった。けれどその図書館の自習席が満席で、他に行くあての無くなってしまった私たち二人は、その辺を適当にぶらぶらし始めた。

 まず私たちの興味を引いたのは謎の巨大な建物だった。幹線道路沿いの道から少し入ったところに突如として現れたそれは、剥がれたコンクリートと、建物の大きさに対して小さすぎる窓と、枯れた真っ黒なツタと、を全て兼ね備えていて、昼間なのに遠い昔に死んだ人造人間が湧き出してきそうだった。私たちはその建物の正体を無償に暴きたくなり、ぐるりとその周りを歩く。幹線道路に戻る。目の前にはさっき見たスーパー。まさかと思ってもう一周する。またスーパーに戻る。「もう一回回って良い?」と友人。そんなことを繰り返して、遂に私たちはスーパーの中に突入した。ごく普通のサイズのスーパーだった。茨城のスーパーでしか経験したことのないような奥行きを想像していた私たちは、狐につままれたような顔をして店を一周して、何も買わずに出た。私の財布はほぼ空で、友人の財布にも千円札が二枚挟まっているだけだった。

 そうこうしているうちに、私の家の方面に一駅分歩いていた(たまたまを装ったけれど、本当は少し私が誘導した)。このときすでに、私の頭の中には今日夢を叶えようという密かな野望があった。だからその駅の前で、私は友人に野望を白状した。私は自宅に帰る。友人は自宅からどんどん離れていく。しかもおしゃれ靴で。そんな企画なのに、友人はかなり乗り気だった。嬉しかった。

 そこからはもうただひたすら線路を辿って歩いた。けれど、どうしてもずっと線路沿いには歩けない。線路に面して家が建っていたり、私有地が線路横に広がっている場合はしょうがなく線路に背を向ける。しばらく線路が見えないとめちゃくちゃ不安になる。私のこだわりで、(なるべく)地図アプリは使わなかった(途中から、友人が見るなら良しとする、というルールに変わった)ので、線路が見えないときは電車の音を頼りにするしかない。あのいわゆる「ガタンゴトン」という音にこんなに飢えることは、たぶんこの先あと3回くらいしかないだろうと思う。

 昔、いつかどこかの国語のテストで出た読解問題で、
「電車の窓からしか見たことのない道で、自分が迷子になっているところを考える」
というような文章を読んだ。気がするだけかもしれない。文面の記憶は物凄くあいまいなのだけれど、そのときに感じた透明な共感と、同時に想像したのであろう景色は私の中に色濃くこびりついている。住宅街に挟まれた、やけに広い道路のど真ん中で、私が一人で高架の上を走る電車を見ている。私はそれを、その電車の中から一瞬見る。ピントはボケている。

 私はこの日、いつも電車の中からしか見ていない景色の中を、ひたすら歩き続けた。もう私は迷子になることはないと安心もしたし寂しくもあった。就職して毎日その路線を使っているけれど、そういえばあの景色がふと浮かぶことがなくなったと、今日気づいた。

 途中の駅で日高屋に寄った。おじさんに混ざって、二人で担々麺と、チャーハンを半分ずつ食べた。日高屋のおいしさに感動する友人が新鮮だった。普段はあまり行かないらしい。さっきも書いたが私の財布は空だったので、友人が私の分まで出してくれた。そのときは疲れた脳みそで「誕プレ代わりに奢るよ!」と言ってくれていた友人は、後日ちゃっかり徴収しに来た。集合はお昼過ぎだったけれど、もう日が暮れていた。

 そこからまた一時間くらい歩いて、これ以上先に行くと友人が帰りにくくなるという駅に着いた。そこで友人とは別れた。そこから二時間は一人で歩いた。一人で歩けるようになった、自分は大人になった、と思った。一度、「この先行き止まり。通り抜け不可」という看板が信じられなくて、そのまま突き進んで袋小路に迷い込んで結構な距離を引き返した。そのタイミングで母親から「誕生日ケーキは何が良い?」という電話がかかってきて、チョコ、と答えてちょっぴり泣いた。

 帰宅して、弟と母親に意気揚々と「某駅から歩いて帰って来た!」と報告したら「気でも狂ったのか」というお言葉をいただいた。数年前、「一緒に歩こう!」と盛り上がった地元の友人にLINEで報告したら話が続かなかった。

 寒くもなく暑くもなく、いいお天気の日だった。日付は覚えていない。