呼吸している、えらい(気分変調症日記)

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なんで私がと思う時となんで私じゃないんだと思う時の割合は大体1:1

今日までに図書館に返さなくちゃいけない本があったので、よりにもよって昼過ぎの一番暑い時間に家を出た。
本当はもっと早い、涼しい時間に出発したかったのだけれど、起きられなかった。
なんで起きられなかったのかと言えば今日までに返さなくちゃならない本3冊のうち1冊半を昨日消化したからである。
夏休みの宿題を最終日に徹夜で終わらせていた人間は一生こうだ。

のこのこと家を出てアパートの駐輪場へ降りる。
駐輪場には、だれか(恐らく大家さん)の善意でサドルやハンドルの埃をぬぐうタオルが引っかけてある。
それは物干しざおまで一緒に挟めるタイプの丸い洗濯ばさみで、駐輪場の柵に留めてあった。
何も考えずに今日もその洗濯ばさみに触れる手に力をいれたら、ぱつん、と軽い音がしてプラスチック片が飛び散った。
洗濯ばさみは両手でタオルと柵を抱え込んだまま、片足を無くしていた。
いつかこの洗濯ばさみがこうなる日が来ることは、たぶん知っていた。
でも、私がその場に居合わせるとは全く思っていなかった。
その原因が私になるなんて、そんなつもりは全くなかった。
まだごまかせると思った。
他の自転車の下に飛んだかけらを拾い上げて、本体に残った部分だけで挟んでいる部分を開こうとする。
さっきと同じ軽い音をたてて、本体ごと粉々に砕け散った。

かけらをてのひらの上にのせて、これは何ごみだろう、とぼんやり考えた。
ゴミ捨て場にそのまま置こうかと思ったけれど、明日は資源ごみの日だった。
たぶん資源ごみじゃない。

アパートの階段をもう一度上って、部屋から同じタイプの洗濯ばさみをとってきて、タオルを挟んだ。
この先私がどこかへ行っても、この洗濯ばさみはここに残り続けるのだと思った。
私が生きた証になるのだ、この洗濯ばさみは。

くつばこの上には洗濯ばさみのばらばら死体が乗っている。
しばらくお見送りをしてもらおうと思う。

おわり