呼吸している、えらい(気分変調症日記)

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選択をしなければならない、という当たり前の苦痛

これはツイッターでも同じことをつぶやいたのだけれど、私は選択をすることが極端に苦手だ。
何かを選ぼうとするとき、「でも」が際限なく湧いてくる。
家族や友人に意見を求めるくせに、その人たちが言うことに反論する意見ばかりが浮かんできて、じゃあ結局その意見と逆のことを選ぶのかというとそんなことはない。
選べない。選べないのだ。

自分の選択に対する圧倒的な自信の無さ。
そして人生の軸の無さ。
自分の信じる道を行け? 自分の信じる道はどっちに進んだらありますか?

今話題の十二国記の中に、
「どっちを選んでもいいが、わからないときは、自分のやるべき方を選んでおくんだ」
という名言があるそうだけれど(私は十二国記を読んだことがない、読みたい)、「自分のやるべき方」とはどちらですか?

気分変調症(というかうつ)の症状の中に、「決断ができなくなる」というのがある。
そしてそういう病気の人に決断をさせてはいけない、とも言う。

でも医師も含め周りの人は
「最終的に決めるのはあなただよ」
と言う。

それに反論はない。
そりゃそうだ。
だって私の人生なのだ。
私以外の人が何かを決めて、責任を負うのは、私にも、相手にも、メリットが無い。
それでも。
私は自分で選択をすることができない。

今までずっと、「良い子」はこうするだろう、という判断基準に従って生きてきたツケだと思う。
世間様から見てどれだけ好印象な行動かどうか。
周りの大人が気に入ってくれる行動かどうか。
そんなことしか考えてこなかったし、そうやって周りのせいにしてきたから、自分が無い。

まあ何が言いたいかというと、内定もらったけどほんとにその会社で良いのか決めかねている。
あまり細かく書いて何かの拍子に特定でもされたら困るので、深くは書かないけれど。
どうして日程のタイミングがこうも合わないものなのか、と思ってしまう。
いろんなことが重なって、じっくり考える時間がない。
入ってみないとわからないよね、なんて言い訳しかできない。

お母さんがこの前、「あなたは絶対、運がいい!」という本を買ってきた。
その本によると、クヨクヨ悩むことはマイナスのパワーで心を満たしてしまい、さらに悩みの種を呼び込んでしまうそうだ。
クヨクヨ悩むことに人生の6割くらいの時間を割いてきた私にとっては痛くて痛くて痛すぎる本だった。

ひとまず月曜日まではいくら悩んでもしょうがないことはわかっているので、ここに吐き出して、考えることはやめにしようと思う。

なぜか今日は眠くならない。朝はあんなに眠かったのに。
パソコンなんて開いてたらもっと眠れなくなっちゃうね。

おわり